厚労省が示した在宅介護従事者の安全確保とは
介護支援専門員が利用者宅で危害を受けた事件が背景にある
厚生労働省は、令和8年6月3日に「介護支援専門員等の在宅介護従事者の安全確保の徹底について」という事務連絡を出しています。
背景には、埼玉県川口市で介護支援専門員が利用者宅で危害を加えられ、亡くなる事件が発生したことがあります。厚労省は、詳細な経緯は警察の捜査中で明らかではないとしたうえで、介護支援専門員など在宅介護に関わる職員の安全確保が重要だと示しています。
通知の中心は「職員個人ではなく組織で対応すること」
この通知で特に大事なのは、危険やハラスメントへの対応を、個々の職員だけに任せないという点です。厚労省は、介護事業者が組織として必要な体制を作り、あらかじめリスクを把握し、予防や具体的な対応を考えておくことが重要だとしています。
もちろん、通知に書かれている内容を一つひとつ制度として追っていくことも大事です。ただ、介護現場で考えるべきなのは、「こういう通知が出た」という事実だけではありません。
在宅介護の仕事には、施設内の介護とは違う怖さがあります。そしてその怖さを、職員個人の注意や我慢だけで済ませてはいけないということです。
在宅介護には、施設内介護とは違う怖さがある
利用者宅という生活空間に入ることの緊張感
在宅介護と聞くと、訪問介護や訪問看護、ケアマネジャーの訪問を思い浮かべる人が多いと思います。利用者の自宅に行き、その人の生活の場に入って支援を行う仕事です。
デイサービスは基本的には施設内で介護を行うサービスですが、送迎の場面では利用者宅に関わります。玄関先でのやり取りだけでなく、状況によっては自宅内に入ることもあります。僕自身も、デイサービスの送迎で利用者宅に入った経験があります。
施設内であれば、周囲に他の職員がいます。完全に一対一になる場面があったとしても、声を出せば誰かが気づく距離にいることが多いです。入浴介助や夜間帯の対応など、施設内にもリスクはありますが、それでも「職場の中で介護している」という前提があります。
職員と利用者が一対一になる場面のリスク
一方で、利用者宅は職員にとって他人の生活空間です。そこに職員が入り、利用者と一対一になることがあります。独居の利用者であれば、家族がいない中で対応することもあります。
この違いは、かなり大きいと思います。
利用者が転倒するかもしれない。急変しているかもしれない。認知症の影響で混乱しているかもしれない。暴力的な行為を受ける可能性もあります。
事故・急変・物の紛失など、疑いを受ける怖さもある
それだけではありません。
物がなくなったと言われるかもしれない。鍵を閉め忘れたのではないかと疑われるかもしれない。家の中で何かが起きたときに、自分の対応が問題視されるかもしれない。
実際に悪いことをしていなくても、誰も見ていない場所で仕事をする以上、そういう怖さはあります。これは、介護職員が利用者や家族を疑っているという話ではありません。利用者宅という生活空間に入る仕事には、そうした緊張感があるということです。
僕自身、送迎で利用者宅へ行ったとき、いつもなら出てくる利用者が出てこなかった経験があります。鍵がかかっていて反応もない。外出しているのか、中で倒れているのか分からない。ケアマネジャーに連絡し、団地の管理側にも対応してもらうことになりました。
結果として、その利用者は自宅内で脳梗塞により倒れていました。早い段階で連絡がついたことで一命は取り留めましたが、その後デイサービスを利用できる状態には戻りませんでした。
このような場面は、通知に書かれているハラスメントや安全確保の話とは少し違うかもしれません。しかし、在宅に関わる仕事には、職員一人で判断しなければならない時間があるという意味ではつながっています。
利用者宅に入る仕事は、介護技術だけではなく、判断、報告、記録、連携が重くのしかかる仕事です。
介護職員は不安を一人で抱え込みやすい
人の役に立ちたい気持ちが、我慢につながることもある
介護の仕事をしている人には、人の役に立ちたい、困っている人を助けたいという気持ちを持っている人が多いと思います。もちろん全員がそうだとは言いませんが、現場で長く働いていると、そのような職員を多く見てきました。
ただ、その気持ちは良い方向に働く一方で、自分自身を追い込むこともあります。
「みんな大変だから、自分だけ弱音を吐けない」
「これくらいは自分で何とかしないといけない」
「利用者や家族も困っているのだから、少しくらい我慢しよう」
こうした感覚は、介護現場では珍しくありません。
「自分で何とかする」が事故やトラブルを大きくする
デイサービスのようにチームで働く職場であっても、職員が一人で抱え込んでしまうことはあります。訪問介護やケアマネジャーの訪問のように、一人で利用者宅に行く仕事であれば、なおさら相談しにくい場面もあると思います。
本来、危ないと感じたこと、不安に思ったこと、利用者や家族とのやり取りで引っかかったことは、早めに共有されるべきです。大きな事故やトラブルは、いきなり起こることもありますが、その前に小さな違和感が積み重なっていることもあります。
ところが、現場ではその小さな違和感が報告されないことがあります。
忙しいから言いにくい。
自分の対応が悪かったと思われたくない。
大ごとにしたくない。
こんなことを報告していいのか分からない。
その結果、職員個人の中だけで処理されてしまう。
小さな違和感を報告できる職場かどうかが大切になる
これは、職員本人の問題だけではありません。職員が報告しやすい空気を、事業所が作れているかどうかの問題でもあります。
事故報告書やヒヤリハットも同じです。書類として残すためだけにあるのではなく、次に同じことを起こさないためにあります。小さな報告を責める材料にしてしまえば、職員は報告しなくなります。
安全確保を本気で考えるなら、まず「言ってもいい」「報告しても責められない」という職場でなければいけません。
事業所は職員の不安を本気で受け止める必要がある
危険や不安の報告は、まず受け止めることが前提になる
職員から危険や不安の報告があったとき、事業所はどこまで本気で受け止めるべきなのか。
僕の考えは、シンプルです。
まずは、すべて本気で受け止めるべきです。
もちろん、話を聞いた結果、すぐに大きな対応が必要ではないこともあります。単なる愚痴に近いものもあるかもしれません。職員側の受け取り方に偏りがあることもあるでしょう。
しかし、それは聞いた後に判断することです。
最初から「それくらい大丈夫」「気にしすぎ」「現場ではよくあること」と流してしまうと、職員は次から言わなくなります。言わなくなった職場では、危険が見えなくなります。
雇用して指示を出す以上、職員を守る責任がある
介護事業所は、職員に仕事をお願いしています。利用者の送迎、入浴、排泄介助、食事介助、家族対応、記録、訪問、相談援助。形は違っても、人の生活と命に関わる仕事を任せています。
雇用して、指示を出して、現場を任せている以上、職員が感じた不安を受け止める責任があります。
現場を任せるなら、報告を受け止める覚悟も必要になる
特に在宅介護では、事業所の管理者や責任者がその場にいないことも多いです。職員一人で利用者宅に行き、家族と話し、判断し、戻ってきます。現場に行っていない側が、現場に行った職員の声を軽く扱ってしまったら、何のための組織なのか分からなくなります。
現場を任せるなら、報告を受け止める覚悟も必要です。
これは、職員を甘やかすという話ではありません。事業所としてリスクを把握し、利用者にも職員にも安全な形でサービスを続けるために必要なことです。
厚労省が示している「個々の職員で対応するのではなく、組織として体制を構築する」という考え方は、現場感覚としても非常に大事です。
職員に「何かあったら報告して」と言うだけでは足りません。報告したときに、実際に聞いてもらえる。必要なら対応してもらえる。そういう経験があって初めて、職員は本当に報告できるようになります。
安全対策は、利用者や家族を疑うためのものではない
職員を守ることと、利用者家族を敵視することは違う
在宅介護従事者の安全確保という話をすると、どうしても利用者や家族を危険な存在として見るような印象になりやすいです。
しかし、そこは慎重に考える必要があります。
利用者や家族の多くは、介護サービスを必要としている人たちです。困っているからサービスを利用しています。家族もまた、介護の負担や不安を抱えていることがあります。
一方で、職員側にも守られるべき安全があります。
この二つは、対立させるものではありません。
職員を守ることは、利用者や家族を敵視することではありません。むしろ、職員が安心して働ける環境があるからこそ、利用者にも安定したサービスを提供できます。
家族側にも不安があり、信頼関係だけでは限界がある
ただし、きれいごとだけでは済まない部分もあります。
利用者宅に入る仕事では、職員側が疑われることもあります。物がなくなった、対応が悪かった、家の中で何かが壊れた。事実とは違っていても、家族が不安に感じることはあります。
過去に、介護職員による虐待や窃盗のような事件が報道されたこともあります。そうした一部の事件によって、多くの真面目に働いている職員が疑いの目を向けられることもあります。
家族側の不安にも理由があります。だからこそ、信頼関係だけに頼るのではなく、記録や情報共有が必要になります。
記録・共有・相談体制が、双方を守ることにつながる
- 訪問時の状況を残す。
- 気になることは事業所内で共有する。
- 一人で判断しない。
- 必要に応じてケアマネジャーや関係機関につなぐ。
こうした対応は、職員を守るためだけではありません。利用者や家族を守ることにもつながります。
「疑っているから記録する」のではなく、「お互いを守るために記録する」という考え方が必要です。
介護現場の安全確保は、個人任せにしないことから始まる
複数名対応や地域連携には現実的な難しさもある
厚労省の通知では、個々の事業所だけで対応が難しい場合に備えて、地域ケア会議での共有、医師などの多職種、保険者、地域包括支援センター、法律の専門家、警察などとの相談や連携も示されています。
また、介護支援専門員の安全確保のため、利用者宅に複数名で訪問する場合の経費支援にも触れられています。
ただ、現場目線で見ると、すべてを簡単に実行できるわけではありません。
複数名での訪問は、安全面では意味があります。しかし、介護職員が不足している中で、毎回複数名で対応するのは現実的に難しい場面も多いと思います。訪問介護やケアマネジャーの業務は、そもそも一人で動くことを前提に組まれている部分があります。
地域連携も大切ですが、日々の現場で急に機能するものではありません。普段から情報を共有し、相談できる関係を作っておかなければ、いざというときに動けません。
それでも「報告していい職場」を作ることはできる
だからこそ、まず事業所の中でできることがあります。
それは、職員が不安を言える職場にすることです。
- 危ないと感じたことを報告できる。
- 利用者や家族とのやり取りで困ったことを相談できる。
- 一人で抱え込まずに済む。
- 報告した職員を責めるのではなく、次にどうするかを一緒に考える。
これは、制度や予算が大きく変わらなくても、事業所の姿勢として始められることです。
職員を守れない職場では、介護の仕事は続かない
介護の仕事は、人の生活に深く関わる仕事です。特に在宅介護では、利用者の生活空間に入り、家族の事情にも触れ、時には誰にも見られていない場所で判断しなければなりません。
その重さを、職員個人だけに背負わせてはいけないと思います。
職員を守れない職場では、介護の仕事を続ける人は減っていきます。介護職員が足りないと言われる中で、現場に立つ人の不安を軽く扱っていれば、ますます人は離れていきます。
在宅介護従事者の安全確保は、事件が起きたときだけ考えるものではありません。
- 日々の小さな不安を聞くこと。
- 危険を職員個人の我慢にしないこと。
- 利用者や家族との関係を大切にしながらも、職員を守る線引きを持つこと。
そこから始めなければ、現場の安全は守れないと思います。
